くそナルシスト璃宇の日常
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知らないでいる方が良いコトってのが、世の中にはある。
以前俺は、何事も知らないよりは知ってた方がいいと思ってた。
もちろん、得ちゃいけない感覚ってのがあるコトは理解してたけど。
感覚はトラウマになって足枷になるからね。
でも知識は、無いよりはあった方が良いハズだ、と。
でも違うなーって最近思う。
知らん方が良いコト、世の中には沢山あるわ。
例えば心理学。
人間の行動が全て文章で説明出来ちゃったら、
面白くも何ともないっしょ。
それも、自分で感じたコトを自分なりに文章にするならともかく、
世にある膨大な量の知識を詰め込んじゃったりしたらさ。
音楽とか、芸術もそうだと思うわ。
俺はこれでも一応作曲の勉強してたんだけれども、
勉強すればするほど、世の中の音楽を説明出来る様になって、
そうなると簡単に説明出来るモノに魅力を感じなくなっていっちゃって。
どんどん、複雑なモノに眼を向けたくなっちゃったり。
でも芸術って、そういうモンじゃないっしょ。
簡単か複雑かなんて、そんなのは問題じゃないっしょ。
何か強いモンを感じるかどうかでしょ。
先人達は自分の個性に基づいて、
強い気持ちを込めてそういう理論や手法を切り開いていって、
そしてそれが人の心を強く打ったワケだけれども。
その切り開いてゆく力が大事なんであって、
後人のうちらがただ知識を広げる為にほいほい取り入れちゃっても、
世の中つまんなくなるだけなんじゃないかと。
大魔王バーン様は無敵の力と比類なき叡知を持ってしまったばかりに、
世の中がつまらなくなっちゃってたワケで。
自ら切り開く感覚を持っていようが、
先人達の切り開いたモンをアカデミックに吸収してゆこうが、
行く着くところは大魔王バーン。
だったら自ら切り開いて行った方が楽しいじゃんか。
その方が生き甲斐にはふさわしい。
いたずらに知識を溜め込んでも虚しいだけ。
余はこれを「大魔王バーン理論」と呼ぶことにしよう。
あーそうさ俺の哲学書はジャンプさ。
以前俺は、何事も知らないよりは知ってた方がいいと思ってた。
もちろん、得ちゃいけない感覚ってのがあるコトは理解してたけど。
感覚はトラウマになって足枷になるからね。
でも知識は、無いよりはあった方が良いハズだ、と。
でも違うなーって最近思う。
知らん方が良いコト、世の中には沢山あるわ。
例えば心理学。
人間の行動が全て文章で説明出来ちゃったら、
面白くも何ともないっしょ。
それも、自分で感じたコトを自分なりに文章にするならともかく、
世にある膨大な量の知識を詰め込んじゃったりしたらさ。
音楽とか、芸術もそうだと思うわ。
俺はこれでも一応作曲の勉強してたんだけれども、
勉強すればするほど、世の中の音楽を説明出来る様になって、
そうなると簡単に説明出来るモノに魅力を感じなくなっていっちゃって。
どんどん、複雑なモノに眼を向けたくなっちゃったり。
でも芸術って、そういうモンじゃないっしょ。
簡単か複雑かなんて、そんなのは問題じゃないっしょ。
何か強いモンを感じるかどうかでしょ。
先人達は自分の個性に基づいて、
強い気持ちを込めてそういう理論や手法を切り開いていって、
そしてそれが人の心を強く打ったワケだけれども。
その切り開いてゆく力が大事なんであって、
後人のうちらがただ知識を広げる為にほいほい取り入れちゃっても、
世の中つまんなくなるだけなんじゃないかと。
大魔王バーン様は無敵の力と比類なき叡知を持ってしまったばかりに、
世の中がつまらなくなっちゃってたワケで。
自ら切り開く感覚を持っていようが、
先人達の切り開いたモンをアカデミックに吸収してゆこうが、
行く着くところは大魔王バーン。
だったら自ら切り開いて行った方が楽しいじゃんか。
その方が生き甲斐にはふさわしい。
いたずらに知識を溜め込んでも虚しいだけ。
余はこれを「大魔王バーン理論」と呼ぶことにしよう。
あーそうさ俺の哲学書はジャンプさ。
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