くそナルシスト璃宇の日常
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最近ハマってる動画があります。
スネ夫が自慢話をするときに流れている曲(フル)
続きまして
スネ夫が物凄い勢いでヘドバンをするときに流れている曲フル
続きまして
スネ夫が激しく踊る時にかかる曲(フル)
続きまして
スネ夫のPCがエラーになった時に流れている曲(フル)
続きまして
スネ夫が激しい弾幕を展開する時に流れている曲(東方)
とまあこんな感じのが沢山あるスネ夫シリーズ。
こいつは天才だと思います。
この音楽性の広さに、ジェラシーすら感じます。
あ、あともう一つ。
キャットファイト系の動画なのですが、これのタイトルの時にかかる曲
微妙に長州w
こういうB級ユーモア大好きです。
音楽って素晴らしいー。
ところで最近の音楽界は、パクリだとか盗作などと騒がれるコトの何と多いことか。
芸術にパクリはない。
なぜなら、芸術とはその作品を作った人間そのものにあるからだ。
誰かに影響を受け、それのオマージュをするコトも、
それはその人間性を表す重要なファクターである、というコト。
例えば、かのベートーヴェンの最初期の作品であるピアノソナタ1番。
これの主題の旋律など、完全にモーツァルトの交響曲25番のオマージュである。
これによって、ベートーヴェンは先人達の音楽をよく勉強し、取り入れ、
それに自分の音楽性を盛り込もうとしているという彼の人間性が良く伝わってくると思う。
もちろんこれが認められるのは、その内容の深さ故であるは思う。
しかし伝わるという意味では、内容の無い現代の音楽においても同じコト。
明らかに何かのオマージュをしていても、
それはそれで作り手の人間性が表れてるではないですか。
「この人はあの作品がよっぽど好きなんだろうなぁ」とか、
「この人は音楽を上っ面しか見てないんだなぁ」とか。
芸術の本質は、浮かぶコトでも見つけ出すコトでもなく、
そういったモノを表現する自分自身を創るコトであると、俺は思う。
そして鑑賞する側も、その作品から滲み出る力を手がかりに、
創ったそいつ自身の人間性を垣間見ること。
それこそが芸術の素晴らしさであり、楽しみであると、そうは思いません?
ただ似ているというだけで「パクリは良くない」とか批判する前に、
そういう作品を創る人間性そのものに目を向け、その上で批評するべきである。
そういえば前に、プロのミュージシャンからこんな話しを聞いたコトがある。
「音楽は、いかにバレない様にパクるか、だよ。」
プロがこんなコトを言ってる様では、聴き手側の眼が養われないのも無理は無い、か。
音楽は出尽くした、とかね。
出尽くしゃしないよ、音楽は。
例え同じコトをやっても、作り手が違けりゃその本質も全く違う。
というワケでJASRACは消えて無くなりゃいいと、私は思います。
スネ夫が自慢話をするときに流れている曲(フル)
続きまして
スネ夫が物凄い勢いでヘドバンをするときに流れている曲フル
続きまして
スネ夫が激しく踊る時にかかる曲(フル)
続きまして
スネ夫のPCがエラーになった時に流れている曲(フル)
続きまして
スネ夫が激しい弾幕を展開する時に流れている曲(東方)
とまあこんな感じのが沢山あるスネ夫シリーズ。
こいつは天才だと思います。
この音楽性の広さに、ジェラシーすら感じます。
あ、あともう一つ。
キャットファイト系の動画なのですが、これのタイトルの時にかかる曲
微妙に長州w
こういうB級ユーモア大好きです。
音楽って素晴らしいー。
ところで最近の音楽界は、パクリだとか盗作などと騒がれるコトの何と多いことか。
芸術にパクリはない。
なぜなら、芸術とはその作品を作った人間そのものにあるからだ。
誰かに影響を受け、それのオマージュをするコトも、
それはその人間性を表す重要なファクターである、というコト。
例えば、かのベートーヴェンの最初期の作品であるピアノソナタ1番。
これの主題の旋律など、完全にモーツァルトの交響曲25番のオマージュである。
これによって、ベートーヴェンは先人達の音楽をよく勉強し、取り入れ、
それに自分の音楽性を盛り込もうとしているという彼の人間性が良く伝わってくると思う。
もちろんこれが認められるのは、その内容の深さ故であるは思う。
しかし伝わるという意味では、内容の無い現代の音楽においても同じコト。
明らかに何かのオマージュをしていても、
それはそれで作り手の人間性が表れてるではないですか。
「この人はあの作品がよっぽど好きなんだろうなぁ」とか、
「この人は音楽を上っ面しか見てないんだなぁ」とか。
芸術の本質は、浮かぶコトでも見つけ出すコトでもなく、
そういったモノを表現する自分自身を創るコトであると、俺は思う。
そして鑑賞する側も、その作品から滲み出る力を手がかりに、
創ったそいつ自身の人間性を垣間見ること。
それこそが芸術の素晴らしさであり、楽しみであると、そうは思いません?
ただ似ているというだけで「パクリは良くない」とか批判する前に、
そういう作品を創る人間性そのものに目を向け、その上で批評するべきである。
そういえば前に、プロのミュージシャンからこんな話しを聞いたコトがある。
「音楽は、いかにバレない様にパクるか、だよ。」
プロがこんなコトを言ってる様では、聴き手側の眼が養われないのも無理は無い、か。
音楽は出尽くした、とかね。
出尽くしゃしないよ、音楽は。
例え同じコトをやっても、作り手が違けりゃその本質も全く違う。
というワケでJASRACは消えて無くなりゃいいと、私は思います。
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